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大阪高等裁判所 昭和39年(ツ)35号 判決

上告人 伊久留花

右訴訟代理人弁護士 水本信夫

被上告人 岡田定信

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

上告理由第一、(ハ)(一)(二)点について。

賃料支払を引き続き二ヵ月分以上遅滞した場合は催告を要せず即時本件家屋を明け渡す旨の和解条項が定められたときは、契約解除の意思表示を必要とするものでなく、これをもつて借家法第六条の規定に反する無効のものと解することはできない(最高裁判所昭和三六年(オ)第一六七号同三七年四月五日第一小法廷判決民集一六巻四号六七九頁参照)。原判決には所論のような理由不備、審理不尽の違法があるものということはできない。

上告理由第三点について。

被上告人は株式会社の代表者としてではなく、個人として上告人との間に本件和解をしたものであるから、被上告人が代表者である会社の事務所が債務履行の場所となるものではない。したがつて上告人が右会社の事務所を履行の場所と信じていたとしても、これを信ずるについて過失がないものとはいえない。原判決には所論のような法律解釈を誤つた違法があるものではない。論旨は失当である。

上告理由第一、(イ)(ロ)(ハ)(三)(四)(五)点について。

弁済の提供が約定の場所でされなくても、債権者が約定の場所以外の場所で弁済の提供を受けることが、約定の場所で弁済の提供を受けることに比べて、別段の不利益とならないような場合においては、約定の場所以外の場所における提供も有効と認めるべきである。何故ならば、このような場合、債権者が弁済の受領を拒むことができるとするのは、いたずらに債務者の自由を拘束するだけであつて、債権者に対し何らの利益を与えるものではないからである。とくに、和解調書において賃借人が賃料の支払を怠つたときは何らの催告を要しないで家屋を明け渡す旨の条項が定められているような場合においては、一方において賃借人が明渡によつて被る重大な結果を考慮に置きながら、債権者が約定と異つた場所で提供を受けることにより被るべき不利益の程度を勘案しなければならない。

本件において、原判決の引用する第一審判決理由によると、上告人が昭和三七年八月分、九月分の賃料を支払わなかつたとの理由で、被上告人が和解調書に基づき家屋明渡の強制執行に着手したものであるところ、「上告人が同年(第一審判決に昭和三八年とあるのは誤記と認める。)九月末日に同年八月分、九月分の賃料を被上告人住所に支払のため持参した。」旨の上告人の主張に対し、甲第一号証の和解調書によると、「上告人は賃料を神戸市須磨区離宮前町一五番地の被上告人方に持参又は送金して支払うこと。」になつているものであり、第一審における被上告人本人尋問の結果によると、「上告人が賃料を持参したという神戸市生田区栄町の家は、被上告人が社長をしている神戸印刷出版株式会社の事務所で、被上告人は右離宮前町の家に家族とともに住み、右会社に通つているもので、日曜日は会社の休みとなつていること、上告人は被上告人から本件家屋を約五年程前から賃借しているが、以前右会社に賃料を持参したことは一度もなかつた。」という事実を認定したうえ、「上告人が九月末日の日曜日に栄町の家に八月分、九月分の賃料を支払のため持参したが、被上告人方は不在であつた。」旨の第一審における証人早田倍子の証言、上告人本人尋問の結果が事実であるとしても、それは弁済の場所でされたものとはいえないので、債務の本旨に従つた弁済の提供とはならず、上告人は引き続き二ヵ月分の賃料の支払を遅滞したものというべきであると判断した。

しかしながら、甲第一号証の和解調書には、履行の場所として「被告(被上告人)住所」が定められ、被告(被上告人)の肩書住所として「神戸市須磨区離宮前町一五」が記載されているけれども、履行の場所が重視されたものでないことは、第一審における第二回口頭弁論期日において、被上告人は、上告人が昭和三七年九月末日に提供したことは否認するが、その翌日賃料の提供があつたことは認めると答弁しており、一〇月一日の提供が被上告人の住所でない場所にされたことを主張していないことからもうかがわれる。(被上告人は第一審における第七回口頭弁論期日において初めて上告人の提供したのは被上告人の住所でない前記神戸市生田区栄町の家であることを主張するに至つた。)また、甲第一号証の和解調書によると、第二項の敷金、延滞賃料合計八六、〇〇〇円は昭和三七年七月一〇日被上告人住所に持参又は送金して支払うことに定められているが、第一審において被上告人本人は右金員は右同日裁判所で支払われた旨供述していることからも、履行の場所が重視されていないのではないかと思われる。

そうすると、上告人の主張するような、上告人が九月三〇日に神戸市生田区栄町にある被上告人が社長である神戸印刷出版株式会社の事務所に賃料を支払のため持参した事実があるものとすれば、たまたま九月三〇日が日曜日であつたため被上告人は不在であつたが、もし被上告人がこの場所にいたとすれば、被上告人がこの場所で弁済の提供を受けることが同市須磨区離宮前町にある被上告人の住所で弁済の提供を受けることに比べて別段の不利益があるものかどうか。上告人は翌日の一〇月一日にも右会社事務所に賃料を支払のため持参し被上告人に面会して受領を求めたが拒絶された事実があるかどうか、さらに上告人が九月三〇日右会社事務所に賃料を持参したが、同日が日曜日であり、被上告人が不在であつたため習日再び右会社事務所で被上告人に賃料を提供したが拒絶されたものとすれば、右のような事情が存在するにかかわらず被上告人が履行期日を一日経過した後であるとして受領を拒絶したのは信義則に反すると認められるような事情は存在しないかどうか。これらの点について審理判断をしないで上告人のした弁済の提供が債務の本旨に従つたものでないと即断することは相当でない。このことは、和解条項に定められた二ヵ月分の賃料の延滞ということは毎月支払われるべき賃料について三〇日間の猶予期間が存することになるとしても変りはない。

原審が前示諸点について審理を尽さず、別段の事情について判示することなく、上告人のした弁済の提供が債務の本旨に従つたものでなく、上告人は引き続き二ヵ月分の賃料支払を遅滞したものと判断したのは、審理不尽理由不備の違法があるものというべく、その結果は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

そこで民訴法第四〇七条第一項を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長判事 熊野啓五郎 判事 斎藤平伍 兼子徹夫)

〈以下省略〉

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